日記・コラム・つぶやき

2006-02-12

2005年SFベスト

 もう、これが出る季節になった。さっそく買ってきてチェック。
     ↓
 『SFが読みたい! 2006年版』

 「海外篇」は、ベスト10中9タイトルを購入し、8タイトルを読んでいる。僕としては近年にない高打率(<何の打率だ?)。
 『ディアスポラ』(グレッグ・イーガン)の1位は、2位以下につけた大差も含めて納得。もっと差がついても良いくらいだ。その他の順位もほぼ順当だと思う。
 ただひとつ理解できないのが『啓示空間』(アレステア・レナルズ)の3位年間ベストに名を連ねるような作品なのだろうか。

 一方国内篇は、ベスト10の中で既読は3冊。20位まで広げても1冊増えるだけ。昨年を代表する20冊のうち4冊しか読んでいないのだから、やはり僕は日本SFファンとは言えない。
 しかも、その4作のうち、僕の中で半ば埋もれていたSFへの愛を掘り起こしてくれた『現代SF1500冊(乱闘編 1975―1995 回天編 1996‐2005)』(大森望)以外は全然感心できない。一昨年は日本SFには随分おもしろいものがそろったような気がしたが、今年は波長の合うものに出会わなかった。
 そもそも文章のヘタな作家は嫌いなのだ。「○○節」とか何とか言葉を飾ろうとも、ヘタはヘタ。誰とは言わんが。

 文章の巧拙のことで言えば、SF界に限らず何でこの人小説家なんだろうというくらいヘタな人はときどきいる(何かきょうは凶暴な気分だな)。
 たとえば誰かが煙草を吸うときには必ず「紫煙」という言葉を使わないと気がすまない某冒険小説作家とか。主人公が(おそらく)ヘビースモーカーなので、「紫煙をくゆらせた」だの「立ちのぼる紫煙を眺めた」だのといった表現が数ページおきに出てきて、五月の蝿である。誰とは言わんが。

 別に読み巧者ぶるわけじゃないのだけれど。マンガに関しちゃ画力は別に問わないが、小説の場合は、たまたま読んだ話がおもしろいなと思っても、文章が一定以上の水準に達していないと好きになれない。翻訳ものはその辺のハードルが低くなる(というより訳者に左右されるという思いがあるから無意識的にハードルを低くしている?)。
 だから日本SFは(一部の例外を除いて)あまり読まないのだな、と憎まれ口を利いてみる。

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2006-01-30

2週間のご無沙汰

 ADSLモデムが壊れた! ネットに接続できない!

 というのが2週間ほど前の話。諸事情あり(というほどのこともないが)、復旧に時間がかかり、ようやく本日復帰を果たした(仮復旧)。
 復旧するまでの間、アップすべきことを書きためておけばよさそうなものだが、現金なものでブログをいじれないとなるとまったく文章を書く気がしない。ずいぶん本も読んだし、映画も観たのだが、もう記憶が薄れてしまって…。

 というわけで、その間に読んだ本・映画の、タイトルだけをとりあえず列挙。

 (1)『アクアポリスQ』 津原泰水 朝日新聞社
 (2)『ハルカ・エイティ』 姫野カオルコ 文藝春秋
 (3)『マッカンドルー航宙記』 チャールズ・シェフィールド 創元SF文庫
 (4)『イニシエーション・ラブ』 乾くるみ 原書房
 (5)『「三島由紀夫』とはなにものだったのか』 橋本治 新潮文庫
 (6)「キング・コング」
 (7)「プライドと偏見」
 (8)「荒野の決闘」 (DVD視聴)
 (9)「真昼の決闘」 (同上)
 (10)「素晴らしき哉、人生!」 (同上)
 (11)「コンスタンティン」 (同上)

 インターネットで遊べないといろいろできるもんだ(笑)。
 このうち(1)(5)(6)(7)については近いうちに書く。
 (2)は直木賞候補に挙がったのを機に読んだ。姫野カオルコはこれで3度目の候補作。今回も受賞を逃し、そろそろ候補作常連の仲間入り。喜ぶべきか悲しむべきか。いや、もちろん悲しむべきだが、もし今回授賞していたら、『ツ、イ、ラ、ク』で取れなかったことが悔やまれただろう。次回に期待。
 (8)~(10)はよく書店などで見かける500円DVD。最近これに凝っている。凝っていると言うより、見かけるとつい買ってしまう。だって安いし…。そういう動機で買うと、本でもDVDでもそうだが、買っただけで満足してしまうことになりがち。最近DVDの棚が広がるたびに「置く場所もろくにないのに、観もしないものを買って」と言いたげな目で僕を睨む妻の手前もあり、ときどきはこうやって観たりもするわけです。ホントに観たからな>妻。
 (10)が「名作である」ということは知識としては持っていたが、うむ、良いね。これほど良いとは思わなかった。ストーリーが「大甘」という見方もあろうが、技術的な点だけ見ても素晴らしい。

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2005-11-20

著作権のこと

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2005/11/post_0e8f.html

飛鳥部勝則の「盗作」問題。
もはや古い話題に属するのかもしれないが、議論すべき点が多々あるようだ。

 「盗用」した先が三原順「はみだしっ子」だったことに意外の念を覚えた以外にはさほどの関心も覚えず、版元が『誰のための綾織』の絶版・回収を決めたことにも、さしたる感想は持たなかったのだが、先日知人からその話をされてから、少し気になってきた。
 差し障りがあると困るのでボカした言い方をするが、その知人というのは僕などとは比べ物にならない著作権問題と深く関わるところで仕事をしている人物だが、彼が言うには版元側の対応に相当問題があるらしい。
 話を聴いたときにはあまりピンとこなかったのだが、あとで気になって、飛鳥部勝則の一件に関する言及を、ネットで検索してみた。
 で、論点が一番解りやすく読み取れるのが↑のサイトだと思う(とりあえず、3つ続きになっている記事の、最後のもののURLを掲げておく)。

 ちょっと調べただけで、いろいろな論点がありそうだが、一番気になるのはやはり「盗作」あるいは「盗用」とは何か、という点だ。
 そういえば、以前から気になっていたのが、例えば「マトリックス レボリューションズ」の大詰めで(<また「マトリックス」かい)、デウス・エクス・マキナの何本もの触手(?)にネオが接続されたまま持ち上げられるシーンをとらえて「『ナウシカ』からパクった」とか、ネオとスミスの最後の空中戦が「ドラゴンボール」とそっくりだから、「レボリューションズ」にオリジナリティはない、というような発言だ。
 あるいは「スラムダンク」トレース疑惑。某漫画家に「スラムダンク」を「トレースされていた」井上雄彦の、オリジナルであるはずの「スラムダンク」自体がNBAの試合写真からトレースしていた、というものだ。某漫画家の「トレース」がどういうものだったかはよく知らないが、井上の「トレース」に関して言えば、これが「盗用」になるならアンディ・ウォホールの作品は「作品」ではない。

 「表現とは何か」「著作権とは何か」に関するきちんとした理解が必ずしもなされていなくとも(僕自身について言えば、まがりなりにも理解しているとは言いがたい)、現代のネット社会ではそれなりに力をもった発言や行動ができる。
 そうした意味では、やはり一番考えなければならないのは、「盗用された側」(この場合は三原順)のファンなどがネット上である作品を「盗用」だと騒ぎ、それを受ける形で版元側が、「盗用した」とされる側に不利となる措置を、おそらくきちんとした検証(あるいは手続き?)を経ずに行ったと思われる点だろう。

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2005-11-09

歌う卒業式

 僕が通っていた新潟県のとある小学校の卒業式はちょっと変わっていた。
 式の初めから終わりまで(校長・来賓の祝辞、卒業証書授与を除いて)、

 すべて歌で進行するのだ。

 進行役の先生が「開会」を宣言すると、すぐさまピアノの前奏から全校児童による合唱、1・2年生による卒業生へのお祝いの歌、3・4・5年生による以下同文、先生の歌と続き、最後に卒業生が先生や父母への感謝を歌って終了という流れ。
 
 卒業式のシーズンが近づくと、音楽の時間はもちろん、毎日のように全校児童が体育館に集まって「予行演習」をやらされた。
 当時はこの時間が本当に嫌いだった。遊んでもらった覚えなど一度もないのに、
 「仲良く遊んでくーださったー、6年生のお兄さん」
 
 などと、何度も何度も歌わされるし、在校生がワンコーラス歌うたびに、卒業生からは
 「あーりがとう、君たち、あーりーがとーう」
 
というフレーズが返ってくるのだ。

 いや、まあ、儀式というのはそういうものだろうと、子ども心にも分かっていたし、そういう押しつけがましさを批判しようとか、そういうつもりは全くないが、とにかく何度も練習させられるのがいやだった。
 いまとなってはただ懐かしいだけだけれども。

 で、話は例によってようやくここから始まるのだが、母校の卒業式がそういうものであったことは、長いこと記憶のそこに沈んでいたのだった。それを、もう1年も前のことになるが、ある日突然思い出した。そういえば、そういう 変な ユニークな卒業式だったなあ、と。

 ちょうどいま、まさに同じ小学校に通っている甥っ子がいるので、今年の正月に帰省したときに、その甥っ子にいまでもこの「歌う卒業式」が残っているかどうか尋ねてみた。しかし「そんなものは見たことも聞いたこともない」との返事。
 やはり、あんな押し付けがましい歌を、しかも全校で何度も練習させなければ成立しないようなやり方は今どき難しいのだろうな、と思いつつも、どうも少し寂しいような気がしていたのだった。

 そして月日は少しだけ過ぎたある日、会社の近くの立飲み屋でのこと。立飲みやといっても、最近ちょっと持て囃されているような種類のものではなく、正真正銘の昔ながらの立飲み屋である。
 となりで飲んでいた顔馴染みの客(うら若き女性、秋田県出身)が、「カラオケに行きたい」とか「自分は歌うのがとても好きだ」という話を始め、その話題で盛り上がったあまり、ひとりで、なにやら大きな声で歌い始めた(そういう店です)。よくよくその歌を聴いてみると、それがどうも聞き覚えのある旋律、聞き覚えのある歌詞。

 うらーらーかーにぃー 春のひぃかぁりーぃが 降うってくーる
 良い日よー 良い日よー 良い日 きょうはー
 さくっらよー 薫ーれー、鳥も歌えー

 「何で知ってるの、その歌」と思わず叫んだ。

 その後は、2人で「卒業式の歌」の合唱大会。

 僕はそのときまで、あの 変な ユニークな卒業式は僕の母校のオリジナルなのだと、何となく思っていた。
 甥っ子が「そんなの知らない」と言ったとき何となく寂しかったのは、あれがいつのころからか母校が連綿と続けてきた伝統の式だったのにそれを行わなくなったのだ、と思ったからだが、実はそれほど 変な ユニークなものだったわけではなく、どうやら誰かが作った基本形があり、それをたまたま我が母校は採用していただけだったということらしい。

 僕が思っていたよりも、そうした学校は多いらしく、あとでネットで検索してみたところ、結構ヒットした。

 そして、極めつけはここですな↓

http://www8.tok2.com/home2/nemurosea/04.3.19.sikika.html

 少なくともこの学校では、昨年の卒業式はこの方式でやったようだ。音声も聞けるので、暇をもてあましている方はぜひどうぞ。
 (僕の記憶では、この他にもう少し歌があり、さらには途中で「仰げば尊し」やら「蛍の光」やらも挿入されていて、もっともっと長かったと思う。) 

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2005-10-25

体重計はどうも怪しい

 体重計というものに、以前から不信感を抱いている。どうも怪しいと思っている。

 特にうちの体重計は数字を大きめに表示しているのではないか。
 そう思い、ヤツの本性を暴いてやる機会を窺っていたところ、このところは数値がぶれるようになってきた。同じときに測っても、1回目と2回目で体重が違ったりするのだ。

 我が家では、床に関しても、ごくごく堅苦しいことを言うならば必ずしも平らであるとは言えない側面があり、そのせいで体重計を置く位置によって計測値が微妙に変わるのかな、とも思っていたのだが、つい先日のこと…。
 風呂上り、いつものように体重計に乗ったら、とんでもない数字が表示されたのだ。

 いくらメシを食ったばかりだとはいえ、そりゃいつもより余計におかわりはしたけれども、だからと言ってこの体重はおかしい。
 いくら最近は太ったとはいえ、それでも70kg.台半ばは維持しているはずだ。
 いや70kg.台後半にあるいは足を踏み入れたかもしれない。だけどそれだってほんの少しのはずだ。いくらなんでも77kg.というのは、確かに考えてみればここ数日体重計に乗るのを忘れていたような気もするが、それでもそんなに短期間にこんなに増えるなんて、どう考えてもおかしい。

 などと、うろたえているうちに、よく見ると、数値が77.5、78.0、78.5と、0.5kg.刻みでゆっくりと上昇している。
 そこでさすがにおかしいと気づいた。乗る前には確かに0kg.に合わせてあったのに、体重計から降りてみたところ、数字は1.5kg.辺りで止まっている。

 故障か、それとも電池が切れたのか、買い置きの電池がないので良く分からないが、まあ、そういうことらしい。

 原因が分かったのはいいが、体重計が使えないのは困る。押入れをひっくり返して、もう何年も(ヘタすると何十年も)使っていない、古い体重計を探し出してきた。
 いまや妻の実家でしか目にしないようなアナログ表示の体重計だ。それも表示窓の周りがさび付いて何とも汚らしい。正確に測れるかどうかも覚束ない。

 まあ、仕方がない。今度の休みには電池を入れ替えてみるなり、もしもそれでダメだったら新しい体重計を買うなりするとして、それまではこれで我慢しよう。
 そう思って乗ってみました。ボロい体重計に。

 そしたら、えっ? なんだこれは

 71.0kg.

 いやあ、昔のアナログの体重計というのは素晴らしい。電池も要らないし、何十年使ってなくてもこの正確さだ。いや正確であるに違いない。
 いやあ、そうだろそうだろ。どうもおかしいと思っていたんだ。そりゃ、少し太り気味だけど、この体形で70kg.台後半はないよなぁ。

 それに考えてみれば、まだ使える体重計があるのに新しいのを買うなんて、環境負荷の軽減が全地球的な課題となっている今日、ズレているにもほどがある。もったいないから、これからはこの体重計を使おう。

 そういえば、妻もここ2、3日というもの、妙に上機嫌だ。

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気の迷い

 新ブログ開設しちゃいました。↓

 http://maimaitsuburi.cocolog-nifty.com/tsundoc/

 気の迷い、ということで。いつまで続くかは分からない。

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2005-10-16

マニュアル通り?

 ずいぶん前のことだが、思い出したので。

 いつも使っているレンタルビデオショップでのこと。

 マニュアル通りの対応しかできない店員という、よくある話です。

 どういう経緯でそうなったかはよく覚えていないが、妻が借りるDVDだろうと、娘が借りるDVDだろうと、それを借りるのは僕の役目。だけど、そのレンタルビデオショップの会員カードの管理は妻がやっているので、僕はいつも妻からカードと財布を手渡され、カウンターに並ぶ。

 その日もいつもと同じように、まず返却するDVDをカウンターに置き、店員がその確認を行っている間にカードをカウンターに出した。店員嬢は確認を終えて、

「ご返却ありがとうございました」。そのあと少し間があって、「○○カード(その店の会員カード)、よろしいでしょうか」。

当方はすでにカードをカウンターの上に出しているのにと思いながら、しかし僕がカードを出したとき店員は返却DVDの確認作業をしていたので、そのことに気づいていなかったのかとも思い、僕はカードの方にさりげなく視線を遣った。ところが店員嬢、再度

 「○○カード、よろしいでしょうか」

 まだ気づかないのかと思い、一度店員の顔を見て、再度カードを、今度は少しはっきりと見つめてやった。ところが店員嬢も、さっきより少しはっきりと

 「○○カード、よろしいでしょうか」

 考えてみればこちらも態度が良くなかったかもしれない。カードをカウンターに投げ出すように置いて、それを拾えとばかり見詰めているのは感じよくなかったのかなと反省し、カードを直接渡すべく、カードのほうに手を伸ばし、カードに手が触れるか触れないかのところでようやく気がついた。出すべきカードが違っていることに。

 要するに、その日は妻が僕に渡すカードを間違えたのね。

 だけどさあ、大した意味もなく、管理は妻、借りるのは僕、みたいな変な役割分担してることを棚に上げて言うけど、もう少し言い方あるよなぁ。カードが違うとひと言いってくれれば、そんなに戸惑わなくても良かった。

 べつにその店員嬢、無愛想だったわけでもなく、こっちが間違えてるのに気づいて、照れて笑ったら、一緒になってニコっと笑ったし。べつに感じ悪い子じゃないのだが。

 そのまま僕が気づかずに、カードをその子に手渡そうとしたら、それでも「○○カード、よろしいでしょうか」と彼女は言っただろうか。ある意味指導が行き届いているともいえるが。

 「よろしいでしょうか」という言い方も変だよなぁ。店はその言葉遣いも指導してるのだろうか?

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2005-10-10

バーチャル疫病?

 「マトリックス」の記事を書くため仮想現実関係で検索していて発見。結構出回っている話なのかもしれないが、ちょっとビックリした。

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050926202.html

 もう何年も前になるが、ゲームソフト開発大手に勤める友人(本人はゲームともソフト開発ともあまり関係がない)の話で、ある社員だかゲーム作家だかと連絡が取れなくなったときにどうしたかという話を思い出した。わりとそういうことを頻繁に起こす人物で、周囲も慣れっこになっていたが、そのときは長期に及んだのでさすがに仕事に支障が出てきたそうで、至急連絡をとりたいと四方手を回して探したところ、あるオンラインゲームに夢中になっていたという情報を入手した。ゲーム内で手を回して探してもらったところ見つかった、とか。

 なんだかウィリアム・ギブスンの小説みたいだねぇ、などと言っていたのだったが。

 「疫病」とはね…。

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2005-09-21

最近の〈観た〉〈読んだ〉

このごろ読んだ本。

 (1)『ザ・フェミニズム』 上野千鶴子・小倉千加子 ちくま文庫 ★★★
 (2)『オスとメス=性の不思議』 長谷川眞理子 講談社現代新書 ★★★★★

 (1)はまるまる一冊が二人の対談。文庫化を機に読んでみた。
 (2)は、(1)と併せ読むと、とても興味深い。名著です。

このごろ観た映画

 (1)「バルカン超特急」 監督:アルフレッド・ヒッチコック 1938年イギリス ★★★
 (2)「サイコ」 監督:アルフレッド・ヒッチコック 1960年アメリカ ★★★★★
 (3)「裏窓」 監督:アルフレッド・ヒッチコック 1954年アメリカ ★★★★
 (4)「燃えよドラゴン」ディレクターズカット 監督:ロバート・クローズ 1973年アメリカ・香港 ★

 いずれもDVD視聴。
 (1)~(3)は、少し前に『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』(加藤幹郎著・みすず書房)を読んで、改めて観たくなった3作。(1)はともかく、(3)もレンタルショップになかったのには驚いた。書店とセットでの出店し展開している某大手レンタル店。店名を蔦重にあやかった
にしては志が低い。
 (4)はわが青春の1ページ(笑)。いまさら言うことでもないが、脚本にしろ演出にしろ、ろくなもんじゃねー。とくに(1)~(3)を観たあとでみると、そのお粗末さが浮き彫りになる。同じ「監督」と名がついても、ヒッチコックとロバート・クローズのやっているのはまったく別のことだ。
 分かってはいるけど、今でもときどき観たくなる。いかにブルース・リーの肉体が素晴らしかったかということだ。ブックオフで750円だったので購入。

 ちゃんと感想を書けばよいのだが、ちょっと元気がない。機会があればいずれ。特に『オスとメス=性の不思議』は、本当はちゃんと紹介したい。くどいようだが名著です。

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2005-09-17

アンバランス

 きょうは娘の小学校の運動会。ここ2年ほどあまり天気に恵まれない年が続いていたが、今年は快晴。気持ちのいい一日だった。

 運動神経はあまりよくないのではないかと思われた我が娘も、このところ成長著しく、今や、クラスでも足の速いほうに属するとのこと、今年はリレーの選手に選ばれて、親も少々張り切った。なにしろ、いまどきの運動会(小学校の)は一家総出の行事だ。

 しかし、ほかの学校の事はよく知らないが、何事にも限度というものがあるはずだ。うちの学校は朝6時から校門が開いて、観戦場所を確保しようとする親が、われ先にビニールシートを敷きに行く。以前は7時半とか7時とか、それなりの時間だったのだが、校門前に長蛇の列ができるようになり、父兄要望を聞いて朝6時に早まったらしい。もっと早くしてほしいという声もあったが、電車をつかわないと来れない家庭のために「6時」に落ち着いたらしい。

 おかげで我が家でも、誰かが(大体は妻だが)6時に学校へ行ってシートを敷いてくる(敷くだけ敷いて、いったん家に戻って正規の時間に出直す)。それだけでも常軌を逸していると思っていたのに、少なくともここ2回は、前の晩から、繰り返すが運動会の開かれる前の日の晩から校門の前に徹夜で並ぶ親がいるのだ。今年に関して言えば、勤め先からの帰りに学校の前を通りかかった妻の証言によると、遅くとも午後6時半にはすでに並んでいる人がいた。

 早朝から起きて手のかかった弁当を作るくらいは良い。朝6時に校門に並ぶのもいいだろう。たかだか子どもの運動会を見る(よい映像を撮る)ために、いい大人が夜寝ないで場所取りをするというのは、どう考えてもバランス悪すぎるだろう? 

 少し考えていただきたい。いったいこの国はどうなるのだろう?

 それはともかく、今年の運動会は、天気もよく、リレーでは娘のチームが優勝し、娘も上機嫌、親も脚立持参で撮影に臨んだかいあって、よい絵が取れて大満足ではありました。

 なんだかなあ。

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