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2005-11-14

『ハイブリッド―新種―』

『ハイブリッド―新種―』 ロバート・J・ソウヤー/内田昌之訳 ハヤカワ文庫SF

 ネアンデルタール・パララックス三部作の最終巻。
 第1作『ホミニッド―猿人―』 第2作『ヒューマン―人類―』 ときてこのタイトルだから、あの件については、どうなるか大体予想がつくところだけれど、第2作の終盤で提起された、こちら側の「危機」の話はどうなるのだろうと思って読んでいると…

 えーと、ここから少しネタバレ気味。相当にボカして書いているつもりだが、2巻まで読んでいる人にはいらぬ先入観を与えてしまうかも。厭な人はスルーしてください、以下反転します。

 …と思って読んでいると、なかなかそっち方向には話は展開せず、第1作・第2作で折に触れて伏線が張られてきたあるテーマと、意外な結びつき方をする。
 思っていた方向には進まない代わりに、予想しない方向にベクトルがかかって、物語に思わぬ力が与えられるような感じ。両腕を広げて回転を始めたフィギュア・スケーターが腕を縮めると回転数が上がるようなものか?<だいぶ違う。
 それはそれでおもしろいが、では第2作は何だったのか。単に最終作に加速を与えるためのカタパルトだったのか、という話もある。

 しかし、振り返ってみれば、それやこれやも含めてこの三部作は楽しんだ。
 ソウヤーの小説というのは(特に最近のものに多いように思うが)、いろんな要素を盛り込みすぎて、作品としては散漫な印象を与えがち。それぞれの要素というのが、きちんと扱えばエンターティメントにとっては重くなりすぎかねない問題をしばしば含んでいたりするから尚更だ。
 この三部作もその意味では、人間社会、特に西欧文化・アメリカ文化、生物種としての人類に対するさまざまな批評を展開しながら話が進んでいくが、そうしたいろいろな要素が、過剰ではないかと思われるくらいに盛り込まれながら、ストーリー自体が散漫にならずにすんでいるのは、「バラスト」世界と「グリクシン」世界というアイディアにすべてがつながっているからだ。

 「ネアンデルタール・パララックス」というタイトルもうまい。詳しくは書かないが、これがエクスキューズとなって、宗教的やら政治的、社会批評的言説を相当過激なものにできる。

 評価は★★★★

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