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2005-10-06

今さらですが「マトリックス」について・リローデッド

 というわけで、ずいぶん間隔が開いてしまったが、先日記事の続き。

 その前に、お時間のある方は↓
   http://homepage.mac.com/tomo_sakuray/Matrix_ref.html

 「マトリックス・レボリューションズ」のストーリー解説としては、ネット上で僕の知る限りこの人の解釈が最も緻密。あくまでストーリー(映画上でどういう事柄が起こっているか)の解釈に特化していて、その点では(掲示板での管理人氏の発言も含めると)実に細部にわたって検証が行われている。その分、そこに展開する物語としての意味などには頓着しない方針のようで、映画をどう評価するかという視点からは無縁。

 あるいは↓
  http://comicmasterj.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_c866.html

 こちらは「リローデッド」と「レボリューションズ」に突っ込みを入れているのだが、すべてを飲みこんだ上での批判なので、一つひとつの指摘がまったく妥当。ここまできちっと言われてしまうと反論できない。
 ただ、ここで指摘されていることのうちのいくつかに関して弁護させてもらうとすれば、ウォシャウスキー兄弟はわざと分かりにくく作っているフシがある。

photo_rev_sept_10 第1作が大ヒットしたことで、第2・3作を作るにあたってフリーハンドを得たウォシャウスキー兄弟は、「少しだけ牙をむいた」、というようなことを前回書いた。
 どう牙をむいたかと言えば、つまりハリウッド的価値観からはみ出した「過激な」主張をしたということだ。おそらく少し過激に過ぎると彼らは思ったから、正面切って主張せず、ハリウッド的にも十分通用するように、「過激な主張」の部分をヒーローとアクションと恋愛の物語の背後に隠れるようにした。その分分かりにくくなった。牙を「少しだけ」むいたというのはそういう意味だ。

 今回は、いつの間にか本題に入っているわけだが、ではその「過激な」主張とは何か? それは要するに、人間の意識・人格・記憶はソフトウエアと等価であり、その文脈に限ってという条件付だが「現実」と「仮想現実」に本質的な違いはない、ということだ。それはつまり、物語に沿った言い方をすれば、マトリックス内にとらわれた人間も、現実内の(ザイオンの)人間も、マトリックス内に棲むプログラム(エグザイル)も、質的には同じものだという、モーフィアスには到底受け入れられない(そしてもちろんオラクルはずっと以前から知っていた)事実だ。
 第1作の物語が抱えていた矛盾(前回指摘)を解消しようとした結果、作り手は、「人間の肉体・器官による入出力をすべて肩代わりできるほどよくできた仮想現実は、現実と区別がつかない」という「一般相対性理論」(ウソ)に辿り着かないわけには行かなかった。
 続編(結果的には2本に分けて撮られた)はこれに沿って作りたい、しかし、あまり声高に主張するとハリウッド的アメリカ的映画には憚られるので、小さな声でそっと言ってみた、というところではないだろうか。

 以下、簡単に検証する。

 スミスとは何者かとネオに問われてオラクルは言った。「あなたよ。対極にある負のあなた」。しかし、それはどういうことか……。
 そもそもスミスがシステムの一部(「エージェント」)であることをやめ、暴走を始めるきっかけとなったのは、第1作のラストでネオが彼の内部に入り込んで破壊したことだった。破壊されたはずのスミスがどのような経緯で、システムの命令に逆らって復活を遂げたのかは必ずしも細部まで明確なわけではないが、「リローデッド」においてスミスが復活後初めてネオと顔を合わせる場面で、自らの復活とネオとの関係について「何が起きたかは分からないが、君の一部が私にコピーされたか、上書きされたらしい」と述べている。
 これ以後、スミスは、自らをコピーして増殖するという能力を身につけ、マトリックス内でネオと同等かそれ以上の力を得ていく。「リローデッド」の中盤で、マトリックスに潜入していたベインを追い詰めて自らのコピーに変えてしまう。ベインの人間としての本体は当然「現実世界」にあるが、そこへスミスのコピーが「帰還」してしまうことになる。
 以後のベインは実はスミスである。ネオを殺害しようとしたり、オラクルとの接触のミッションに参加しようと自分の船の船長をたきつけたり、マシンのザイオンへの攻撃に絡んで工作を行い、大惨事を引き起こしたりするのだが、ここで注目すべきことは、人間がマトリックスに潜入するのと逆に、逆にプログラムが現実世界に潜入したということだ。
 乱暴な言い方をすれば、つまり、人間の脳(精神活動)とソフトウエアは同じ物である(少なくとも、相互に交換可能である)。

 一方、ネオはというと、「リローデッド」のラスト、現実世界においてセンチネル(あのタコみたいな戦闘機械ね)に襲われて、咄嗟に武器を持たずにこれを撃破する。その結果彼はその後しばらく、マシンシティとマトリックス空間の境界(「現実と仮想現実の境界」と見ても良いし、「ハードとソフトの境界」と見ても良いかもしれない)に閉じ込められる。そして「レボリューションズ」は、彼がそこからどうやって帰還したか、を語るところから始まる。ネオは現実側からではなくマトリックス側から手を回したトリニティらによって、マトリックス経由で帰還する。要するに、ネオは仮想現実を制御しているのと同じ仕組みを、無自覚のうちに現実世界のセンチネルにも見出し、これに生身でアクセスしてセンチネルの機能を奪った。ただ、そのことに自分でも十分な理解ができず、彼の意識はアンプラグのままで機械の中をさまようことになった、ということだろう。

 ちょうどスミスがベインの身体を借りてアンプラグで現実世界に侵入したのと逆のことがネオに起こっている。ネオとスミスが正反対の存在として、マトリックスと現実世界を反対方向から照射することで、両者が等価であることが示されているのだ。

 「レボリューションズ」の冒頭、マシンシティからマトリックスへの「通路」である地下鉄の駅でネオが出会う少女サティーは、「レボリューションズ」のキーとなるキャラクターである。
 サティーはマシンシティのプログラムであるインド人夫婦で、プログラムではあるが、特に「目的」を持たない。しかし、「目的を持たない」とは何か? プログラムに「目的がない」ということは、機能がないということと同じではないのか? 父ラーマによれば、「我々の世界では(そうしたプログラムは)削除されます」。娘を「愛している」から、メロビンジアンを頼ってマトリックスに迎え入れてもらうのだとラーマは語る。ネオが怪訝そうな顔をすると、「(プログラムが)愛を語るのは変だと?」「愛は人間の感情だ」「ただの言葉です。大切なのは言葉が表す“関係”です」。そしてさらにはネオを見つめ、思い当たったように「愛する人がいますね?」。うなずくネオに「その人を守るために何をします?」「何でも」「では、我々がここにいる理由は同じです」。

 プログラム同士が結婚して(あるいはあらかじめ結婚した存在として作られたプログラムか?)“子ども”を作り、しかもその子プログラムは“目的”を持たない。そうした存在であるサティーが、「削除」を逃れ、マトリックスのシステム内不確定要因というべきオラクルのもとに預けられるが、マトリックスごと消滅の危機にさらされ(というより一旦消滅す)るが、救世主ネオによってマトリックスごと(というより世界ごと)救われ、ネオのために“夕日”を作る話。
 ごくごく乱暴な言い方だが、「マトリックス」シリーズとは煎じ詰めればそういう物語であると、言い切ってしまうことも、可能だろう(ホントに乱暴だなぁ)

 と、本当は今回で終わるつもりだったが、長すぎるので2つに分けました。次回本当に完結(とほほ)。

 ※10月6日午前10時追記 文字色を一部変えていましたが、うまく表示されないので標準色に戻し、それに伴う記述を一部変更しました。
 併せて、記事が長くなりすぎたので、前半と後半に分け、後半部分は別記事といたしました。それに伴なう記述の一部変更を行いました。

 ※10月7日午後8時40分追記
>サティーはマシンシティのプログラムであるインド人夫婦で
   ↓
サティーはマシンシティのプログラムであるインド人夫婦の娘で、

に訂正します。

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コメント

お邪魔致します。まだ、maimaiさまの完結編を読んでおりませんが、なんとなく、読む前に書き込んでおこうと思いました。

>それは要するに、人間の意識・人格・記憶はソフトウエアと等価であり、その文脈に限ってという条件付だが「現実」と「仮想現実」に本質的な違いはない、ということだ。・・・・中略・・・・マトリックス内にとらわれた人間も、現実内の(ザイオンの)人間も、マトリックス内に棲むプログラム(エグザイル)も、質的には同じものだという・・・・・事実だ。

は、ご覧になられた方たちもお感じになられたのではないでしょうか。でも、それを意識し始めると、思わず、いろいろの疑問が生まれてきます。少なくとも、わたくしには疑問でした。それは、まっさきに、

>破壊されたはずのスミスがどのような経緯で、システムの命令に逆らって復活を遂げたのか

でありました。その説明が、

>自らの復活とネオとの関係について「何が起きたかは分からないが、君の一部が私にコピーされたか、上書きされたらしい」と述べている。

というところで、ええ~~~ってと思ったものでした。「何が起きたか」という発想をスミスが持ったことが、とても不可解だったからです。

>これ以後、スミスは、自らをコピーして増殖するという能力を身につけ、マトリックス内でネオと同等かそれ以上の力を得ていく。

この時点で、な~んだ!コピーなら元があるということだわ、その元との戦いという単純な構図になってしまうのかしら?と。でも、キーワードは、「何が起こったのかわからない」かなと。

>ネオは現実側からではなくマトリックス側から手を回したトリニティらによって、マトリックス経由で帰還する。

ことを、maimaiさまは、

>要するに、ネオは仮想現実を制御しているのと同じ仕組みを、無自覚のうちに現実世界のセンチネルにも見出し、これに生身でアクセスしてセンチネルの機能を奪った。


とおっしゃっていますが、ここでもキーワードは、「無自覚」だなあと。

だとすれば、二つの「無自覚」なものが闘う構図を用意し、それを眺めている存在が「神」ということになるのかと、それなら面白いと思いました。

で、サティですが、

>サティーはマシンシティのプログラムであるインド人夫婦で、プログラムではあるが、特に「目的」を持たない。

ここに、わたくしは、作者のメッセージの鍵をかってに見出してしまいました。(汗)

maimaiさまは、
>しかし、「目的を持たない」とは何か? プログラムに「目的がない」ということは、機能がないということと同じではないのか?
と言われますが、

人間もプログラムも、「出会う」ことによって気付いたり、学習したり、発見したり、認識したり、やがては思考し、創造してさえいくというのは、よく知られたことでございましょう?そういう意味では、「目的がない」こと、そこになにか意味があると考えるのは、まさしくキリスト教的価値観を反映しているなあと思いました。

神は、存在するものに「使命」を与えるからでございます。それを「神の愛」としている。乱暴に言えば、これがキリスト教的価値観。

問題は、存在するものが、人間(生き物)だけではないという認識から、そうしたメッセージが生まれるという意味で、これはキリスト教世界では、まさにコペルニクス的転換ですね。

投稿: gekkouinn | 2005-10-07 02:01

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