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2005-10-06

今さらですが「マトリックス」について・レボリューションズ

 というわけで(どういうわけだ)、以下は、一旦はこのひとつ前の記事に含まれていた記事だが、アップしてみたらどうにも長すぎるので、ふたつに分離しました(前後がつながるように、文章を少し変えました)。ちょっと思いついて書き始めただけなのに、結局映画と同じ3部作になってしまった(泣+笑)。

 「レボリューションズ」でサティーがマトリックスに連れてこられた理由は前回書いた通りだとして、なぜオラクルのところに預けられたのかには説明がない。メロビンジアンとの交渉で、親子3人のうち迎え入れられるのは1人だけという条件が付けられたから親は面倒を見られないというところまではよいとして、だからといってどうしてオラクルに引き取られることになるのか? システムの不確定要因ともいうべきオラクルのもとへ“目的”を持たないプログラム・サティーはなぜ行くのか? 

 この映画でこういうふうに説明がないまま話が進んでいると感じたら、そこにはシンボリックな意味が隠されていると思ったほうが良い。というより、その部分はシンボルなり隠喩なりに寄りかかってストーリーを進行させているので、それに気づくことができないと、唐突な感じがしたり意味不明だと感じたりしてしまうのだ。考えて見れば、何もこれは「マトリックス」シリーズに限った話ではないが。

 その意味では、このシリーズは始めから、さまざまな登場人物・都市・物の名前などに意味を持たせていた。そもそも主人公のハンドル(?)である「ネオ(Neo)」はひっくり返すと「one」で、「the One」となればイエス・キリストを指すということはしばしば指摘されているし、「ザイオン」は「シオン」の英語読み。「パーセフォニー」はギリシャ神話のペルセフォネ。豊穣の女神デメテルの娘だ。冥界の神ハデスに連れ去られ結婚するが、デメテルがあまりに悲しんだので、地上には作物が一切育たない。神々の神ゼウスがハデスにかけあって、ペルセフォネは1年のうち半分だけ地上に戻れることになる。おかげで作物は冬は育たない。つまりつまりペルセフォネは、半分は地上に生命(農作物)をもたらし、半分は死者である。パーセフォニーにぴったりでしょ? あとは、「マトリックス」冒頭近くで、ネオはアリスよろしく「ウサギ(のタトゥー)」の後を追って“不思議の国”に迷いこんでいく、とか。

 というわけで、ギリシャ神話やら、ルイス・キャロル、キリスト教と、さまざまなところからモチーフを寄せ集めてきている感じもあるこのシリーズだが、中でも、主人公ネオの恋人の名「トリニティ」(三位一体)が、この物語の中でもっとも大きな意味を持つ。他はともかく、「トリニティ」の意味をどう考えるかで、この映画をどう解釈するかが大きく変わる。
 改めて僕が指摘するまでもなく、「トリニティ」とは「三位一体」という意味である、とは、多分ネット上で「マトリックス」シリーズについて触れたサイトの多くが言及している。しかし僕は、この「三位一体」という言葉と「マトリックス」シリーズの特に第2・3作との、もっと具体的な対応関係について考えてみたい。「三位一体」の「三位」が、この物語の中の何かを指している(例えばザイオンとマトリックスとマシン・シティ、例えばネオとモーフィアスとトリニティ)と指摘するサイトはあるが、これから述べるような三者に対応させているところは、僕の知る限りではない。

 そのまえに、ちょっと総括的確認。

 「マトリックス」シリーズはキリスト教における「救世主」をモチーフに作られた物語だ。第1作「マトリックス」で、救世主の物語は一度は終結する(死から復活を経て人間を救済する)が、同じ主人公による続編を作らなければならなくなった段階で、完結していたはずの救世主物語は、もう一度語り直されなければならなくなった。同じモチーフの再展開であるにも関わらず物語が推進力を失わないために導入されたのが、「人間の精神(意識)とソフトウエアは等価である」という、世界観の深化ないし拡大である、というのが僕の基本的な考えだ。

 で、「三位一体」だが、まずキリスト教の「三位一体」の語義から押さえておくと、「三位」とはいうまでもなく「父」と「子」と「聖霊」。その三つは本質的には同じもので位相が異なるだけである、というのが「三位一体」の意味だ。そのうち、「神の子」キリストがネオを指すことに異論はないと思う。では、父たる神は何をさすか。これも、「レボリューション」のラスト近く、マシン・シティでネオが出会うボスキャラ「デウス・エクス・マキナ」(「機械の神」)を指すということは、ここまでの文章をお読みになった方ならば(その趣旨に賛同するかどうかは別として)ご推察いただけるだろう。

 それでは、「聖霊」は何を指すか。

 そもそもキリスト教における「聖霊」とはいったい何か。キリスト教に縁の薄い日本人にはなかなか理解しにくい。というよりも、キリスト教内部の、それも、例えば同じカトリック系であっても、宗派によって「聖霊」の解釈は微妙に揺れ動いており、キリスト教の基本思想に関わる概念であるにもかかわらず、おいそれと「これこれこういうものである」と断言できるものではないようなのだが(って、それもどうかわかりません。付け焼き刃では理解できないだけで本当は明瞭なのかもしれない)。
 ともあれ、「聖霊」というからには聖なる霊であり、人間の霊が人間の意識の本質であるように(これも非キリスト教徒にはよく分からない)、聖霊は創造主から発せられ、創造主から分離して世界でさまざまなことをなす意識体である(らしい)。世界のあらゆるところに存在し、ときに神の言葉を伝えたり、人の心を信仰で満たしたりする。聖書も聖霊の啓示によって書かれたそうなので、聖霊はバイブルの実質的な著者ということになる。また聖霊が人の中に入ると、不信心者には理解しにくいが、その人の口から「異言(いげん)」が出ると、聖書にも書いてあるという。

 ということになると、これはもう、説明するまでもない。「聖霊」はスミスである。というよりも本来的にはエージェント一般なのだが、「リローデッド」「レボリューションズ」にはエージェントはほとんど登場しない。その発展形(?)としてのスミス=「聖霊」と考えて差し支えないと思う。

 いずれにしても、スミス(もしくはエージェント)も、ネオも、アーキテクトひいては「デウス・エクス・マキナ」から発せられたものだ。(ネオはアーキテクトによって「救世主プログラムコード」を植え付けられたことによって、「救世主」となった)。つまり、続「マトリックス」たる第2・3作は、父なる神のもとから神の子が使わされたことによって、この世のすべてが聖霊に満たされて(満たされ過ぎという話はあるが)、この世のすべてが洗礼を受ける、最後に救世主が神のもとに帰って行って、世界が救済される、という物語である。

 こういう見方で見れば、シリーズは3作目でちゃんと完結している。これ以上語られるべき物語はないということがお分かりいただけるはずだ。つまり最終的にネオは機械と妥協してザイオンを救ったのではない。ザイオンだけでなく、それと等価なものとしてマトリックスも、そしておそらくマシンシティも、つまりは地球を人類と機械との戦争状態から救ったのだ

 最後は駆け足になったが、ここまでが、僕の「マトリックス」シリーズに関する考えの概略。いま手元に「マトリックス」シリーズのDVDをお持ちの方は、ぜひもう一度、観直していただきたい。きっとあなたの「マトリックス」観は変化するはずだ(と思いたい)。

 と、ここまでが、一旦は前回記事に載せていた部分(少し加筆しました)。せっかく2つに分けて余裕ができたので、少し付け足し。以降は推測と言うか妄想がかなり混じります。

 自問  結局、ネオは死んだの? 生きてるの?

 自答  愚問です。だってネオは三位一体の位相のひとつとしての「神の子」ですから。あえて答えるなら、死んでるとか生きてるという存在ではない。これはスミスも同じ。

 自問  ネオは何を救ったの?

 自答  ザイオンとマシンシティとマトリックス。要するにすべてです。新約聖書と大まかな構造が同じだと考えれば、それほど突飛な考えでもない。では具体的にどう救ったのか。
 要するに太陽を隠していた雲を一掃するんですね。手段は知らない。だけど、これが「人類家畜化」の原因だったんだから、みんなが救われるにはこれしかない。
 これにより、機械はエネルギー問題から開放されます。マトリックスは人類をエネルギー源とした巨大発電所ではなくなり、その点での存在意義はなくなります。しかし仮想現実も現実も等価ですから、というよりプラグにつながれた人類は依然としているし、エグザイルもいるわけだから、彼らが生きるためのインフラとして存続します。そこに住みたいエグザイルは自由に住めます(サティーのようにね)。そうなると、マシン・シティのプログラムも目的がないからといって削除されることはありません。つまり、人間もソフトウエアも、同じ程度に自由な存在になるわけです。
 そしてザイオンは…。アンプラグの人類はザイオンに閉じこもって必要はなくなります。青空のもと、住めるところならどこにでも住めるようになる。かくて、「リローデッド」でザイオンの評議会の長老(だっけ?)がネオに語ったように、人間と機械は共存します。
 何を根拠にそんなことを言うかって? さあ、あんまり根拠はない。だけど、ネオとトリニティがマシン・シティに向かうとき、一瞬だけホバークラフトが雲の上に出て青空が見えるシーンがありますね。それと、ラストでサティーが夕日を作ります(与えられた目的はなくてもサティーは何かをし始めるわけですが、それはともかく)。「ネオも見るかしら」だか「ネオに見せたい」だかというセリフがあったと思うけど、これらを併せ考えると、スミスとともにデウス・エクス・マキナのもとにかえったネオは、というより父と子と聖霊は、そういうことを考えるのではないか、と。話が前後しますが、サティーがオラクルのもとに預けられたのも、これとの整合性を考えると納得できるような気がするのです。

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コメント

いやあmaimai 氏がマトリックスに入れ込んでるなんて結構意外だったんですが、なんか納得してしまいました。
私自身は3作品共にレンタルで時間に追われて見たのであんまり記憶に残ってなかったりするんですが・・・すいません。

そうそうアニマトリックスはご覧になってます?
これもウォシャウスキー兄弟が脚本書いてるので本編と矛盾は無い筈、と言うか一般人(自分を含む)はこれ見ると1作目がより理解しやすいんじゃないかなぁ等と思ったりしました(マトリックス世界が何故出来たかの話があった筈)。

投稿: FaianchCha | 2005-10-06 23:18

やっと、maimaiさまのお話が完結!
全部拝見してから、コメントを書き入れなくて良かったかもしれません。その都度その都度、感じたことをコメントしてきたのは正解だったかなあと。(頓珍漢なことはございましたでしょうけれども)最終回を読み終えてからだったら、収拾がつかなくなるところでございました。(汗)

>。「三位一体」の「三位」が、この物語の中の何かを指している(例えばザイオンとマトリックスとマシン・シティ、例えばネオとモーフィアスとトリニティ)と指摘するサイトはある

というのは、ちょっと違うだろ―とわたくしも思いますね。それは、映画を最初に観たときに、「救世主」という言葉と、「トリニティ」という言葉から発想して映画を見終えたわたくしでも、ヘンだなあと思ったものでした。

でも、曖昧なまま、最終回も見終えた一人として、スミスが聖霊だというのは、かなり斬新なご意見だと思います。
救世主ネロが、ネオでした!が救ったのが「全て」だということ、その結果、イエスの贖いによる磔刑での神の受容で、人類が「原罪」から自由にされたように、
>人間もソフトウエアも、同じ程度に自由な存在になるわけです。
というのは、了解できますけれど。

だとするならば、映画『マトリックス』における全ての救われたものにおける≪原罪≫とは何なのか、これが解明される必要がございますね。(^^)

投稿: gekkouinn | 2005-10-07 02:19

>FaianchChaさま

>いやあmaimai 氏がマトリックスに入れ込んでるなんて結構意外だったんですが

 いや、それほど入れ込んでるというわけでもないんです。何というか、「レボリューションズ」に対する自分の見方と世間の見方がかけ離れているので、何かの拍子に思い出しちゃうんですよね。
 今回も、思い起こせばグレッグ・イーガン『ディアスポラ』の最初の部分を読んだところで、なぜか「マトリックス」シリーズについて書きたくなったのだった。

 書いている間に『ディアスポラ』はとうに読み終わってしまった(おもしろかったね! 読んだ?)が、それにつけても考えさせられるのは、日常の価値観からのぶっ飛び方のレベルにおいて、「マトリックス」シリーズはグレッグ・イーガンの足元にも及ばない、足の裏しか見えない(何じゃそりゃ)のに、アクション映画というフィルターがかかると……。いやいや言いますまい。


>gekkouinnさま

 我ながら読み返してうんざりするような長ったらしい文章ですのに、お付き合いくださって本当にありがとうございます。しかも、1回ごとに丁寧なコメントをいただきまして…。
 おのれの無計画を呪いながら、泣きながら、ここまで書いてきた甲斐がありました。

>スミスが聖霊だというのは、かなり斬新なご意見だと思います

 斬新といいますか(笑)、客観的に見てかなりエキセントリックな主張だというのは自覚しているのです。私としては割合すんなりとこの結論に達したのですが、誰もそういうことを言っておられないので、何か依怙地になったという部分はあると思います。

>だとするならば、映画『マトリックス』における全ての救われたものにおける≪原罪≫とは何なのか、これが解明される必要がございますね。(^^)

 おっしゃる通り、すべてが「新約」と重なるわけではない、というか、弱点だらけなのです。実際私の論法ではつじつまの合わないところをごまかして書いたり(gekkouinnさんにはお見通しかも)しています(汗)。

 ただ、この映画は「救世主}をあくまでモチーフとして使ったということで、イエスによる救済の物語の再話を行ったということではないのですよね。
 早い話、私は「デウス・エクス・マキナ」を造り主なる神に擬えましたが、あのストーリーの中では、デウス・エクス・マキナがすべてを見通していたわけではありません。明らかにデウス(以下略)はスミスの増殖に困っていて、ネオと取引をしたのですから。
 まあ、ネオ、スミスが一体となって、マトリックス内のすべて(スミスをコピーされたオラクルも含む)とともにデウス(以下略)の中に戻ったことで、世界に平和が訪れた、くらいに受け取っていただけるとありがたい。
 急に弱腰です(笑)。

 その意味ではキリスト教の信者からは、この映画はあるいは冒涜的ですね。実際は知りませんが、ウォシャウスキー兄弟はたぶん無神論者、少なくとも非キリスト者でしょう。

投稿: maimai | 2005-10-07 22:52

 少し補足。
 改めて読んでみると、論理が飛躍してますね、この文章。説明が足りていない。

 要するに、マトリックスの世界が〈嘘っぱち〉で現実の世界が〈本当〉、という、第1作では成立していると思っていた認識が、第2作では崩れていくわけですね。
 マトリックスが〈嘘)の世界だからネオは超人になれるのだ、と思っていたら、現実世界でも超人的な力を発揮できるし、人間性の権化のはずのオラクルは実はプログラムである。〈本当〉の世界には現れることができないはずと思っていたスミスは生身の人間にもなれる。
 そうした矛盾を解消できて、なおかつネオが第2作・第3作で次第に認識の階梯を上った結果、スミスとああいう形の決着のつけ方をし、機械世界全体と和解できるとしたら、ネオとは、そしてスミスとは、どういう存在なのだろう。そう考えればあの結論に達するのではないか。だとすれば、ラストシーンのアーキテクトの「エグザイルはここにいてよい」という台詞もサティーの夕日も解釈できるでしょう。
 そういうことです。


>FaianchChaさま(このハンドル、何?)

 ごめん、言い忘れた。「アニマトリックス」は持ってます。さすがにDVD発売時ではないが、中古でだいぶ安くなったから、そのときに買って、すぐに観たはず。しかし、よく覚えていない。
 少なくとも「リローデッド」「レボリューション」を観た後で「アニマトリックス」を観直すということはしていないので、上に書いた文章にはまったくその要素は入っていない。
 だからそこで間違えているかもしれません。
 ただ、僕はアニマトリックスは関連作品ではあるけれども、本体の3部作とそこまで整合をとるつもりで作っているわけではないのではないか、とも思っているので…。

投稿: maimai | 2005-10-10 17:52

>FaianchChaさま(このハンドル、何?)

「ファイアンチ(チャッ)」
判った?スペルは適当だけど(本当のスペルが知りたい)。

投稿: FaianchCha | 2005-10-10 22:37

>「ファイアンチ(チャッ)」

ニーヴン&パーネル?

小さな塵?

神の目の?

ググッて答えには辿り着いたが、どんな話だったか、まったく覚えていない。
なんかユニークな宇宙人(モート人?)が出てきたことはぼんやりと覚えているが…。
僕の場合、読んだ本の中身を忘れてしまうのは今に始まったことではないが、最近輪をかけてひどくなったような。
若年性……えーと、……えーー忘れん坊になっちゃったらどうしよう。

投稿: maimai | 2005-10-11 20:46

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